社会人から教員になった35歳のおっさんブログ

社会人からふとしたきっかけで教員免許取得へ。

教員になって思うところ2

 

ちなみに自分は結局私立高校に勤務中です。公立高校にも出入りすることはありますが、基本的に職員室の雰囲気などはわかりません。

いわゆる教育困難校、にて勤務しています。そんな中でのブログです。

 

おらが村の教員たち

思いつきで仕事をする教員がいます。

「この単元のテスト明日までに作っておいて」

と軽く言います。で、結局使わなかったりします。なんじゃそれ。

締め切りに余裕があって、ちゃんとした作る理由があるのならまだわかりますが。そうでなくただ単純に思いつき。

これに似たような事案はいくらでもあると思いますが、これってなんなんだろうと考えた時に思いつくのは「おらが村」でやっているからではないか、ということ。

生徒の中で「一番偉い人」として傍若無人に振舞っているのでしょうか。それが職務に影響してはまずいですよね。そもそも教員の多くは自分が学生だった時から急に転換して「先生」になる人が多いですよね。「学校文法」の中でずーっと生きてる人たち。

しかも急に偉くなったような気がして。中身は変わらないのに。

なもんで、ついつい傍若無人になるのかなあ、と思います。いい先生も一杯いるんですよ。けれどもこういう悪い先生もたくさんいます。社会人としてのスキルが低すぎる人たち。

あとね、おらが村の村長さんたちは総じて話が長い。面白い面白くないに関わらず話が長い。ただし、頭の回転のスマートな人の長話は発見があったり驚きがあったりで苦痛ではないことも多い、かな。

 

村長たちはもうちょっとしっかり勉強しなさいな

で、村長たちは偉くなった気分なので独自の理論で人を丸め込もうとします。勉強している教員もいますよ。けども「自分の経験上これはこう、このタイプの生徒はこう」って言っちゃう。で、裏付けはない。いや裏付けは「おらの経験」。

これがまかり通っている世界なのかもしれません。まずい。非常にまずい。

もちろん経験則、大事です。けども人間の変化ってのは思っているより急激なスピードで進みますよね。大体スマホもろくに扱えないくらいに時代から取り残されている教員に「経験によると」って言われても説得力ない。

だから勉強しないといけません。何も本を読むことが「勉強」ではなく、新しい知識を許容し受け入れてみることも「勉強」なんですよね。

偉くなった気分の人たちにはこれができないのかもしれません。

 

あとね、村長たちは服装にも気を使わなさすぎる。社会人やねんから、その辺ピシッとせえよ。

 

で、文句が増える

前回にも書きましたが業務効率化を図れていないにも関わらず、「忙しい」「仕事量が多い」なんて言っちゃう。能力の問題ではないでしょう。おそらく教員という企業の体質なのかなーと思います。

だってこの大変なご時世にそれでも教員やろうという「やる気」はある人たちですもの。根性もあるでしょうし、多少の困難は乗り越えるでしょう。けども細かなことが進んでいかない。これって恐らくですけども体質と古い教員たちの古い仕事っぷり、それこそ経験則でものを言っちゃう村長たちのせいだという気もしています。

結果、文句という安直な方向に流れていくのかな。俯瞰して仕事を見たり中々できないのかもしれません。これも変えていかないとまずいだろうなーと思ったり思わなかったり。

けどもこれの煽り食らうのは子供達ですからね。そこにしわ寄せが行って良いわけがない。