生徒は大人をよく見ている
いや、実際は「見ていたりもする」
しかも子供達に有利になりそうなところばかりを。
そもそも学校というのは「嫌なもの」という風になってきていますよね。
昔は「ありがたいもの」だったでしょうし「普通のもの」であった時代もあったでしょう。いまでもそうかもしれませんが「嫌なもの」だと認識している人も多いでしょう。
これは生徒に限らず社会的な風潮かもしれません。
嫌なもの、を我慢するためには何かしらの対価が必要になります。
無理やりやらされているから、精一杯の反抗をします。
だから、まっすぐ机に座る方が楽なのに、わざわざ横を向いたり後ろを向いたり。
嫌なものをやりにきているんだぞ、と精一杯アピールするために、わざわざ授業中に喋り、注意される。
普通に授業を受ける方が楽なのに(しかも知識もつくのに)、それはできないわけですね。
これは一面的な見方ですし、全員がそうではありません。
今回は「嫌なもの」と捉えている人たちのお話です。
なもんで、精一杯の反抗として教員の失敗するところや、人間的にイケてない部分(彼らの基準で)を一生懸命探します。
よく見てるね、と感心するぐらいに。
そしてそれを自分たちの評価軸に置き換えて理解をします。
教員が色々な規則に縛られたり、影でいろんな努力をしていることなど彼らは見ません。それは彼らには一切興味のない、無駄な情報ですからね。
自分たちの評価軸に置き換えた見方は、さもそれが事実だったかのように彼らは錯覚をし理解をします。
この辺も若さゆえでしょうか。
よく教員をしていて心が病んでしまう人っていると聞きます。
その人たちってもしかしたら、上記のような生徒たちと関わってしんどくなってしまったのかな、とも考えます。
そういう意味で、教員って仕事は割り切らないとダメだなあ、と思いますね。
手を抜くんじゃあなく、一線を引いてしまう、ってのは大事なのかもしれません。