ルールが「なぜあるのか」と問うのはナンセンスだと思う
特に教育現場ではね。仕事をしている人間として書いているのではなく、学校ってのはこんなもんじゃね?という話。
よくある話で、例えば「スカートの丈は何センチ」だとか「髪型はこう」だとか色々な校則ってものがあるわけ。
で、そこで校則違反をする人も出てくるんですが、その人達の中には
このルールはなぜあるんだ
などという話に持ち込む人がいるようです。
で、それは保護者という「大人」まで参戦してくる事態もあるわけです。
社会や学問において「なぜ」はとても重要ですが、学校現場の「ルール」に対してその問は無意味だと感じます。
というかそもそも教育って、ルールの是非に関してそもそも想定してないんちゃうかな。まあ、此のへんは色々な書籍などでも色々な意見があるのでさておき。
そもそもルールを守る必要もあるわけです。
学校て例えば、「コンビニ」みたいなものだとします。コンビニに行く人はコンビニで得たいものがあるし、そのために対価も払います。
ところが、コンビニに入ってきて「着物をください」と言う人がいるわけです。
「コンビニなんで着物はないよ」と言うと
「なぜそんなルールがあるのか」と聞いてくるのです。
「なぜも何もそういうものだから」というと
「それは説明になっていない、お前じゃ話にならん、店長を出せ」と言います。
「店長を出したところで何も変わらないので出しません」
というと、その客の保護者と名乗る人が出てきます。
「こっちは金を払っているのだから客だ、その要望に応えないとは何事か」
というのです。
「着物がほしければ着物屋さんに行けばいい」というと
「この店から出ていけということか」と激昂しSNSに書き込みます。
「お客さんね、ここで着物をよこせというのはナンセンスですよ」
なんて事を言うとさらに激昂します。
で、こんなやり取りの間、普通のコンビニのお客さんは待たされています。
そのクレーマーが口からツバをバンバン飛ばすので、買いに来たおでんは謎の液体がたくさんかかった状態で提供されます。
いつもこんな事を考えてしまいます。
授業を妨害するような人もまさにこれですよね。正規に提供されるべき質の良い授業をわざわざ妨害してくるってことは、人の持っている商品をわざわざ汚しに行ってるとしか思えません。
で、このお店の客層によってルールは変わるわけです。ここも重要。
2人に1人が万引する店ならば、出口で身体検査されてもしょうがない。
逆にそんな実績のないクリーンな店舗ならルールはとことん緩いでしょう。その分口から謎の汁をおでんにぶち込んでくる輩もいません。
確かに無意味に見えるルールもあるけれども、それが作られた背景があるし、それで得をしたり利益を享受できる側があるからルールがあるのでしょう。
そのルールがどうしても気に食わないのであれば、正当な手続きでルール改正を主張すべきだし、そもそも主張しても良い場所なのかを確認する必要がある。
とか思うけどなあ、ってな話。
別に教育的な配慮云々は知らんけども。
学校ってそういうもんじゃね?という雑感でした。